大学受験に成功した話
どうもこんばんは。
今日は教習所に生き危険予測ディスカッションをしてきました。
久しぶりの運転でしたが割とうまくできたような気がします。
早く免許を取りたいものです。
今日は僕の人生でも一番の成功話といえる大学に現役合格した話をしようと思います。
前回、センター試験数学は失敗したという記事を書きましたが、二次試験は問題なく点数を取れて僕は第一志望の大学に合格することが出来ました。
どこから話すべきはわかりませんが高校一年生のころから話していこうと思います。
正直言って受験に関しては成功している部類に入ると思うので、使っていた参考書も後々公開しようと思っています。
(ちなみに僕の通っていた高校は進学校ではなく地方の偏差値50後半程の高校でした。)
僕の高校一年生はいたって普通の生徒でした。
部活はサッカー部に所属していましたが、サッカーがめちゃくちゃ得意でスタメンになることが出来たわけでもなく、勉強が得意で学年でトップクラスの成績をとっていたわけでもありませんでした。
僕の記憶だと一番最初のテストの順位は280人中120位くらいだったような気がします。
そんなスタートを切った高校生活。
まず僕の感覚では地元の地方国立大学に行ければいいほうなのだろうと考えていました。
進研模試なども年に三回受けましたが、どれも結果はひどく岡山大学C判定とかだったと記憶しています。
僕のクラスで一番仲の良かった子はめちゃくちゃ勉強ができてものすごい成績をとっていました。
僕はそばにいながら「すげえなあ」ということしかできません。
しかし、勉強は嫌いではありませんでした。
一年のころから地元の個人塾に通っていたので毎日毎日塾に行き、勉強していました。
というのも、僕には入れ違いで高校を卒業し、大学受験に失敗した兄がいました。
(第一志望は落ちたが滑り止めの私立に合格した)
兄は引っ越しで家を出ていく前に僕に
「俺みたいになりたくなかったら一年のうちからしっかり勉強しとけよ」
と言い残して家を出ていきました。
この言葉を聞いていた僕は好んで勉強をさぼろうとは思いませんでした。
才能のない自分ですが、勉強は嫌いじゃなく、継続することが出来ました。
そして毎日毎日塾に通いつめ、学校の定期テストレベルの問題は難なく対応できるようになり、確か一年の最後には学年で30位くらいには上がっていました。
しかし、まだまだ上はいる。
上の人たちに追いつきたいなあという思いと同時に志望校を設定しなければモチベーションが上がらないなあと思い志望校を設定しました。
自分の実力よりもはるかに高い大学に設定しました。
今思うとこの時の志望校の設定のおかげで僕はいまこの大学に合格できたといっても過言ではないくらいこの設定は重要でした。
実現できるかどうかは置いておいて、目標をなるべく高く設定しておくことは受験において非常に重要です。
ぼくの周りでもこれを言っている人は多いです。
そんなこんなで二年生になると成績はますます上がっていきました。
確か高2の夏の全統記述模試では偏差値75くらいで学年でも5番くらいには入っていました。
このころは皆はまだ本気で勉強していなかったのでコツコツやってた僕はいい成績をとることが出来たって感じです。
二年生の間もめちゃくちゃってわけではありませんが毎日勉強はしてました。
そして成績は特に変動することなく三年生。
(上位の人間はめちゃくちゃ勉強してて到底テストでは勝てません)
三年生になると周りの人達も本気で勉強し始めました。
特に部活動が終わると皆一斉に受験ムードに。
僕も部活が終わってからはそれなりに勉強はしていました。
周りには急成長して抜き去っていった人もいましたが、僕も勉強してなくはなかったので普通にテストで点数はとれていました。
そして夏休み。
受験は夏が勝負だといわれています。学校の先生も塾の先生も口をそろえて言っていました。
しかし、夏休み後にはビッグイベントの運動会があります。
僕の学校では三年生(任意)と一年生の100人くらいで応援合戦という競技をします。
そのための準備で最低でも毎日2、3時間、長いときは朝から夕方くらいまで集まって踊りを考えていました。
こんな生活をしていたので勉強時間はろくにとれませんでした。
正直内心焦っていました。
「俺このままだと志望校に受からなくないか」なんて毎日考えていました。
しかし応援をやりきるという気持ちは変わりませんでした。
なので休む時間も惜しんで勉強しました。
そうすると焦りからか濃い勉強時間がとれ、成績は一切下がりませんでした。
夏休み明けのテストでも、今まで通りの成績が取れました。
「勉強するから応援はやらないよ」なんて言ってた人間の方がよっぽど無駄な時間を過ごしていました。
そして無事に運動会を終え、秋。
長くなってきたのでここからは次回に。
長くなりつたない文章でしたが、読んでくれた方には感謝します。
ではまた。